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1999年 ルポルタージュ・・・釧路の盛り場で米兵と語った・・・その2
                    
                              監視団の一員として 下川麻衣


おれ達の任務は「監視役」

 それに加え、今回の外出において監視役だった3人は様々な規則が隊員達に設けられ、街の特徴や分化なども事前に教えられたと言う。隊員たちを監視する彼ら3人は、その3名も含めて見張っている「防衛施設庁職員の立場も理解しているが、邪魔だ」と本音をチラリ。

我々は日本を守っている

 話題は在日米軍の正当性に移った。彼らは日本のためにここに居るのだ、と強調する。周辺がぐらついている今こそ、軍隊を持たない日本を守らねば、という。私達のチラシのNO WARというサインを見て、「自分たちだって戦争は嫌だ。けれど、もしものときのために準備は必要」と説明する。反在日米軍だと言った私を頻りに軍にリクルートする姿から見ても敬虔な海兵隊員なのだと思う。こんなにフレンドリーな彼らが軍人だというのは残念でならない。そのときの会話は次のとおり。

 Q:あなたは、日本の基地から戦地に行ったことがあるか。
 A:まだ、位が低い時、岩国からソマリアの紛争に行った。私達は、日本を侵略から守るために日本にいる。(ソマリアに行くことと日本の防衛は関係あるのか)。

矢臼別はもっともいい演習場だ!

 Q:あなた達の今日の任務はあるのか。
 A:私達の任務は、兵士達が、この釧路で悪いことをしないように監視している。来る前にも何度も何度も、規律ある行動を取るように言ってきた。少しでも悪いことをすると、直ぐに矢臼別に返します。(昨年の事件が、かなり米軍内部でも伝わっていると見られます。)
 Q:私達はあなた方の行動を監視しています。矢臼別で今年1900発砲弾を撃ったでしょう。
 A:君たちのカウントはまったく正しい。矢臼別は国内で最もいい演習場だ。
 Q:訓練では、生物化学兵器訓練を行ったのか。
 A:米本土、日本国内でも、毒ガスマスクの着用など、生物化学兵器を想定した訓練を通常実施している。ただ、生物化学兵器そのもののしようはしていない。
 Q:自衛隊との共同訓練は行ったのか。
 A:最初の準備段階で一緒に行った。自衛隊もよく訓練されている。

夕食にありつけない米兵も!?

 歩いての監視行動を再開した私達に白人と黒人の隊員が必死にジェスチャーで空腹を訴えてきた。あまりに可哀想なので、即英語で対応すると2人とも私に「ありがとう!」と拝んできた。「こんな所で普通の英語が聞けると思ってなかったよ」と言ってくれた。私が彼らと同じ南カルフォルニア出身と知り、とても喜んでいた。ラーメンを食べたくてさまよっていたが、行った店全てで海兵隊員ということで断られたという。そうであるべきだと思うし、そういう店がこれから増えていってほしいと思うが、彼らが11時になってまだ夕食を食べていないのには同情してしまった。軍としてそういう事態には対応すべきではないだろうか。

おれたちは観光客なんだ・・・というけれど

 Dが言っていた。「日本人には良くしたい。この辺の日本人は外国人には不慣れなので、米国人をよく知らない。だから良い振る舞いをして、アメリカ人が海兵隊員を見るような目で日本人から見られたくないんだ。俺等は観光客なんだ。」敢えて反論はしなかったが、彼らはとても残念な考え方をしていると思った。私が今まで出会った元・現海兵隊員と何ら変わらない考えをしている。これからの彼等との通信を通じてもっと情報を手に入れつつ、こちらの対応も考えていきたい。

 しもかわ まい

 東勤医協職員。
 根室市出身。
 高校、大学ともアメリカで学び、就職。
 98年帰国。釧路支在住。


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